西山浄土宗について

西山浄土宗は、京都府長岡京市の粟生の光明寺を総本山とする宗派です。承安5年(1175年)春、浄土宗の開祖法然上人が、最初に念仏の教えを説かれたのが、西山広谷と呼ばれたところでそこに本山光明寺が建っています。建久9年(1198年)法然上人の弟子の熊谷蓮生法師が、この地にお寺を建て師の法然上人を開山第一世として迎え、「念仏三昧院」と号し、自らは、第二世となり念仏を説いたのが光明寺の始まりです。

 法然上人は、長承2年(1133年)岡山県美作の地に、押領使(国内の反乱などを鎮圧する役人)漆間時国の子として誕生され、幼名を勢至丸と申されました。九歳の時、父の非業の死に遭い、叔父の観覚得業上人の門に入られ出家の道を歩まれることになりました。人間の真の救い、真の安らぎを求める求道の人となられました。比叡山に登り、あるいは南都(奈良)に諸宗の碩学といわれる学識高い名匠を訪ね、黒谷の報恩蔵に籠り一切経を五辺も読み返されるという厳しく烈しいものでありました。そしてついに、承安5年(1175年)春、43歳、善導大師の著「観経疏」に心眼を開かれ念仏のみ教えに帰依されたのであります。それは、お釈迦さま一代の八万四千の法門ともいわれる教えの中で、貧富の別なく、男女の別なく、能力の別なく、誰でもが、等しく阿弥陀さまの救済にあずかることができる念仏のみ教えであります。建久9年(1198年)九条兼実公の請により「選択本願念仏集」を著され浄土の法門を確立されたのであります。そして、御生涯を念仏一行に託され、ご教化され、建暦2年(1212年)正月二十五日八十歳、京都吉水の地でご入寂されました。そのみ教えは、私たち西山浄土宗の基礎をつくられた流祖西山(せいざん)上人をはじめ、親鸞上人、聖光上人等多くの弟子たちに受け継がれ、それにより各々の流派が生まれていきました。

 西山上人

その法然上人が、多くの弟子の中で、特に篤い信頼をかけられていたのが西山上人で、私たちの西山浄土宗の教義の基礎をつくられ流祖と仰ぐ方であります。西山善慧房證空上人は、治承元年(1177年)久我通親の一門、源親季朝臣の長男として生まれられ、九歳の時、久我通親公の猶子(養子)となられ、十四歳元服と同時に公卿の道ではなく自ら出家を願われ 法然上人のお弟子となられました。聡明かつ利発な西山上人に、法然上人は、早くから期待をかけられ、法然上人ご撰述の「選択本願念仏集」ご執筆に当たって「勘文の役」という編集の助手をつとめられ、ご執筆の代行もされました。師法然上人ご入滅後、慈円和尚(1155~1225年)の譲りを受けて西山善峰寺・北尾往生院に住され、そこを拠点に、念仏の護持と教化に生涯を捧げられ、「西山の上人」西山上人と尊ばれ親しまれました。上人は、「観経疏自筆御鈔」(観門義)四十一巻をはじめ「五段鈔」「鎮勧用心」等百余巻もの著述を執筆され念仏の真を伝えられました。また、兵庫県生瀬の浄橋寺、岐阜県八百津 善慧寺をはじめ十一ヶ寺の大伽藍を建立されております。その西山上人の法灯の流れを八百年間継承しているのが、粟生光明寺を総本山とする西山浄土宗であり、また京都東山禅林寺(永観堂)を総本山とする浄土宗西山禅林寺派、京都新京極誓願寺を総本山とする浄土宗西山深草派の西山三派